2015年4月14日火曜日

【雑記】【教育論】ノートを写させることは・・・

今日こんなことを言われた。

「先生、教科書の本文書き写させてます?なんか先生の担当クラス、教科書写してやった気になってるのが多いみたいですが」


・・・ん?なんだこれは。やり方を変えろという婉曲表現か?


こう言って下さったのは、ベテランで生徒からの信頼も厚い(畏怖といった方がいいかもしれないレベルの)先生だ。流石に「教科書を写させることが悪いことですか?」とは聞かなかったが、そういうニュアンスで言われた感じがしたので、ややカチンときた。

「いや、教科書写すだけじゃなく、併せて品詞分解やマーキングをやることも課していますが」

と反論(というか返答)したら「そうですか」と頷いてらっしゃったが、どのような意図で私にアドバイスをくれたのか全然分からなかった。

こちらが担当しているのはハイレベルではないクラスで、何度やっても動詞の活用すら覚えようとしない(いや、覚えられないのかもしれないが)生徒がいるくらいだ。(高校三年でだよ?)

いちいち授業の最初に宿題チェックや忘れ物チェックを入れないと教科書すら開かない。


・・・
・・・・・・
・・・・・・・・違う違う。愚痴を言いたいのではない。


そもそも、教科書を写させているのは、教科書のコピーなどでは行間が狭すぎて、授業で取り扱ったことをメモできないからだ。また、全く何もやろうとしない生徒もいる中で、少しでも古文に触れさせる上で、欠かせないものだと考えているからだ。

こちらでプリントを作成してしまうと、甘えて教科書を持ってこなくなる。さらにひどければノートすら持ってこなくなる。(実際二年生の時にはそんなのがいたのだろう。)

それらを防ぐ意味もある。


こんなこと、ベテラン先生は分かっていらっしゃるはず。


だとすると、私の指導法がいけない、という婉曲表現なのだろうか?


教科書を写して「勉強したぜ!」って思うような指導をするな、ということか。
いや、むしろそう思わせる授業ってなんだ?どうしたら教科書だけ写して「勉強したぜ!」って思えるんだ?

「いいか、お前ら!!この教科書は最強だ!!こいつさえノートに写せば、お前ら全員目標大学へ合格できるぜひゃっほーぅ!!」

とか言えばやった気になるのか?
・・・・分からん。


もし、万が一にでも、本当に教科書を写して満足している奴がいるならば、それは彼、もしくは彼女の問題ではないか。これは責任逃れだろうか・・・。

古文いらねー。
古文めんどいー。
空井うざいー。

とか思っている生徒だからだと思っちゃうんだが、どうだろう。
だって、もう高校三年生だよ?考えなくとも教科書写して終わり、なんてのが勉強に入るわけないって分かるんじゃないか。


うーん。
考えても分からない。
教科書写しが実は意味のないものなのだろうか。
何故、そんなことをわざわざ私に言うのだろうか。



どのように課題を設定し、どのように生徒に喋るのが良いのか。
教員歴の浅い私には分からないのだろう。
これに関しては歳を重ねても分からなそうだが、いつかしっかりと理解したいものである。



もし、生徒さんで同じような(教科書写しひゃっほーな)人がいたら、どうしてそう思うのかだけでも空井にコメントでご教授くださいm(_ _)m



今日、眠れるかな・・・・

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